[20] 女であることの価値は
「母親になりたい」と、思っていたのは、十代までだった気がする。不思議なことに、結婚してから「子供がほしい」と思ったことはなかったのだ。それは、以前も述べたように、子宮に向けて精子を注がれることに、わけのわからない拒絶感があるからだ。

しかし、ある夜、彼は私に言った。

「お前の子供が見たくなった」

結婚して8年経ってもなお、私を人生のパートナーとして想っていてくれていることに感激した。セックスの時以外、愛の言葉を交わさなくなって久しい夫婦だったから。いわば、「二度目のプロポーズ」のようなものだ。

「お前が子供を欲しくなるのを待とうと思っていたし、このままでもいいと思っていたけれど、きっとお前の子供だったら、かわいいと思って」

おそらく、生涯忘れないであろう言葉。しかし、やはり同時にあったのは、──ああ、ついにこのときが来てしまったか。という気持ち。
きっと、あと5年もしたら産みにくい身体になる。無意識のうちに、それを待っていたところもあるのかもしれない。産むならはやく という気持ちもあった。私はずっと、ずっと、この狭間でゆれているのだ。

その夜から、心から彼を感じたときも、そうじゃないときも、身体の中心に私は、彼の生命を受けている。何度抱かれても、慣れない身体。そのたびごとに、狭間で揺らぎ続けることの罪悪感が刺している。

しあわせであるはずのことが、しあわせと感じられないのはどうしてだろう?

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