しかし、ある夜、彼は私に言った。
「お前の子供が見たくなった」
結婚して8年経ってもなお、私を人生のパートナーとして想っていてくれていることに感激した。セックスの時以外、愛の言葉を交わさなくなって久しい夫婦だったから。いわば、「二度目のプロポーズ」のようなものだ。
「お前が子供を欲しくなるのを待とうと思っていたし、このままでもいいと思っていたけれど、きっとお前の子供だったら、かわいいと思って」
おそらく、生涯忘れないであろう言葉。しかし、やはり同時にあったのは、──ああ、ついにこのときが来てしまったか。という気持ち。
きっと、あと5年もしたら産みにくい身体になる。無意識のうちに、それを待っていたところもあるのかもしれない。産むならはやく という気持ちもあった。私はずっと、ずっと、この狭間でゆれているのだ。
その夜から、心から彼を感じたときも、そうじゃないときも、身体の中心に私は、彼の生命を受けている。何度抱かれても、慣れない身体。そのたびごとに、狭間で揺らぎ続けることの罪悪感が刺している。
しあわせであるはずのことが、しあわせと感じられないのはどうしてだろう?