自分と少しだけ似ているかもしれないけれど、基本的には対照的。簡単に言えば、私は楽観的で快楽主義、勢いとバランス感覚で進むタイプ。けして器用とはいえないけれど、なんだかんだで欲しいものを手に入れてきた。彼女はとても慎重。努力を惜しまない。だからこそ、私みたいなタイプは許せない部分があるんだろう。今回の喧嘩は、長年のソレが表面化したものと言える。
きっかけは、5月の帰省。私は、ひどく体調を崩し、仕事もぎりぎりまで手が離せない。そんな状態だったが、親にも長いこと顔を見せていなかったこともあり、どうしても帰省したい。そんな気持ちで実家へ向かった。当然、携帯で仕事の進行具合もチェックせざるをえない。のんびりできる帰省とは言いがたかった。なんとかこちらに戻りながら、そういえば連絡をしていなかったことに気がつき、メールをしたところ、怒りのこもった返信があった。
どんな状況でも一目でも会いたかったこと。
言い訳はしたくなくて、細かい状況は伝えなかった。ただ、ゴメン、と。しかし、それが発端となり、たびたび怒りに触れることが続いた。メールの文章が冷たい、相手がどう感じるか考えろ、1%だけでもいいから本気で相手をしろ、と。…職場の先輩、綾さんに話したら「愛されてるね」って。たしかに、そう感じられるくらいの激しさだった。しかしながら。私は目の前のこと、これから先のことで精神的にリミットが近づいていたタイミングでもあったため、親友の言葉や気持ちは重く、もてあましてしまっていた。
ある夜。私は親友に電話をした。ある種の覚悟。とにかくあいつの言い分を全部聞いて受け止めよう。そう思って。
正直、憤慨もしたし、泣きたくなる場面もあった。結果的には、私は努力をしようという方向で落ち着いた。損をしているから、もっと大切なことをきちんと伝えてくれと。遠距離友愛にだって努力が必要だと。
そこでひとつ、決定的にココロに残ったことがある。彼女は、
「ひとつでも相手の嫌いなところがあったら、それは直してもらいたい」
と言う。でも、私はそうは思えない。人間の価値観なんて、100人いれば100人違う。嫌いな部分、受け入れられない部分があって当然のはずなのだ。私は、嫌いなところが10あっても、90の好きなところがあればそれでいい。嫌いなところしか見出せない人は、かわいそうだと感じた。好きなところを好きになってあげれば、きっと相手は嬉しいに違いない。現に私も、親友のそんなまっすぐでピュアなところが好きなのだ。たとえ、私の生き方を全面否定されても、だ。
彼女の気持ちや言い分は真摯に受け止めるけれど、私を変えるのは無理だろう。私は、主人を愛しているし、彼女も大切にしている。親友や仕事や、すべてが必要。ひとつでも欠けたらこの均衡は保てなくなる。自分勝手で奔放で薄情な女だと思われるのも仕方ないだろう。でも、でもね。
私は誰よりも熱い気持ちをもっているよ。大切なものを守るときは、いつもの何倍も力を発揮するよ。
そんな場面、大人になってなかなかなくなったけど、親友にはいつか伝わればいいなと思う。