[9]出会いの確率
実は、こっそりと覗かせていただいているブログサイトが沢山ある。バイだったり、ビアンだったり、ゲイ(この場合、男性で)だったり。私は本能に忠実で、あまり真剣に自分の性を悩んだことがなかったから、彼女や彼らの文章は刺激的で新鮮でもある。

どのサイトも、自分のセクシュアリティを悲観してはいない。自己表現を自由にしてくれる、このインターネットというツールにより、ありのままの自分でいられるからだろう。かくいう私も同じ、このセクシュアリティを悲観するどころか、物事に寛容でいられる自分を誇りにさえ思う。「他人を受け入れることができる」という大きなカテゴリーの中で、男性だから、女性だから、という壁がないというのは、生き易いとも言える。

そんなセクシュアルマイノリティ的私たちは、現実世界で自然に「出会う」確率は、どのくらいだろうか。

周囲を見渡せば、彼氏の話で盛り上がる同僚たち。女友達。その中にまぎれる私は、既婚者として、「男なんてそんなもんだよ」なんて言う恋愛アドバイザーとなる。確かに、恋愛遍歴はほぼ男性だったし、どの男性とも長く続いてきた。主人とも結婚生活七年目。外から見れば私は立派に、「男の扱いを熟知した女」なわけで。本当に、よく恋愛相談を受ける。

本当の意味で受け入れられているとは正直思い難いが、職場でも「私はいいけど、○○くんが触ったらセクハラだからね〜」と言いながら、女子の生足を触ったり、自分が教育している女の子がミスって半泣きのところを、ぎゅうっと抱きしめてみたりしても、「天野さんはセクハラ扱いされなくてお得だな〜」と言われている。

多分、とくに男性社員なら、「私、女の子も好きなんです」くらいはOKだと思っている。「彼女がいるんです」は別として。女性社員も、笑って流す程度は可能であろう。特に私が仲良くしてる子たちは、手を繋いで歩いたりしちゃうくらいだ。(恋人つなぎを普通にしてしまうほど“慣れてる”子もいる)

さて、(やっと本題)私の周りに、バイまたはビアンまたはゲイ、あるいは、それらを許容できる人間がどれくらいいるんだろう?

あくまでも、同性愛はマイノリティ=少数派。「そうそう居ないよ」という世界だけれど、もし、みなさんの日常生活に生きる「普通の」人たちに、何かのジャンルのたけた「オタク」や、潔癖症な人がいたとしたら、それと同じくらいの確率で、バイやビアン、その他のセクシュアルマイノリティを持つ人がいるということに、ならないか?

だとしたら、片思いがかなう確率も高い。「ノンケだから」とあきらめるのは早い。出会いがない、と嘆くのは、早い。
出会いの確率は、マイノリティだから低いのではないと思う。

好きになることを恐れてはいけない。出会うことを恐れてはいけない。
その道の先を曲がると、もしかしたら、そこには恋人となるべき相手がいるかもしれないもんね。
恋心を罪悪感で縛る必要はないんじゃないか?

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